03.いつもの遅刻




「……遅い!」

 駅前の、無意味に背の高いオブジェの前。銀色に光るそれを背にして、瞬は腕を組みながら周囲を睨み付けていた。不機嫌を隠しもしない、眉間に深く皺を刻んだその表情。周囲の人達が思わず振り返るのにも気付かないまま、瞬の視線は人混み溢れる改札に向けられていた。

 目当ての姿は未だ現れそうにない。

(あの野郎、あと30秒以内来なかったら絶対に帰ってやる……!)

 制服のポケットに入っている携帯電話もいっこうに振動する気配が無い。募る苛立ちに任せて髪を掻き上げれば、瞬の赤い髪がさらりと宙を舞った。

 僅かに視界に入った空は既に夕暮れ。待ち合わせの時間から、十五分が経過しようとしていた。







「おいナァナ! 今日の放課後オレ様の買い物に付き合え!」

「断る」

 平日、授業中のバカサイユ。いつものメンバーが揃う中、相も変わらず隅でベースを弄っていた瞬の元に、相も変わらず尊大な態度の清春が姿を現した。

 両手を腰に当て、堂々と言い放った言葉を瞬は顔も上げずに一刀両断。

「何っでだよ!」

 当然、ものの一秒で断られた清春が憤慨した。

「当たり前だ。俺が貴様の買い物に付き合わなきゃならない理由がどこにある」

 さも当然だと言わばかりに、瞬は手元の弦を軽く弾いた。清春の様子など全く気にしていないのか、片膝を立ててベースを支え、そちらにばかり気をとられている。

 けれど清春だってそんな返答を予想していなかった訳ではなかった。寧ろ期待通りの言葉ににやりと口角を吊り上げると、わざとらしく顔を逸らす。

「へぇ〜。そんなこと言っていいのかヨ?」

 なに、とそこで瞬は漸く顔を上げた。訝しげな視線を受けて、清春はますます楽しそうに笑う。

「……オレ様は別にいーんだぜぇ? 昨日のことを他の奴らにばらしたって」

「なっ……!」

 途端にかあっと赤く染まった顔に、清春はヒャハハハハッと品の無い声を上げた。同時に二人の脳裏に過ぎる、全く同じ光景。それは昨夜瞬の家で行われた密やかな出来事だった。当然他の人間に言える行為ではない。ましてやB6や担任教師などには、絶対。

「四時に駅前だからなァ!」

 そのままくるりと身を翻した清春は、瞬の制止も聞かずにさっさと走り出していた。また悪戯でも仕掛けにいくのだろう。怪しい道具を手にあっという間に窓から姿を消してしまう。

 残された瞬は、まだうっすらと赤い顔を晒したままその背を必死に睨み付けて。

「っ誰が行くか!」

 他の四人が振り向くほど大きな声で、そう叫んでいた。







「……別にあいつに言われたから来ている訳じゃない。今日はたまたまバイトが休みで、バンドもメンツが揃わなかったから暇になって……。単なる暇つぶし。そう、暇つぶしだ」

 再び昼間のことを思い出して居たたまれなくなったのか、瞬はぶつぶつとそう繰り返していた。それは駅前に来てから何度も胸中で呟いている言い訳。四時五分前に着いてしまった自分自身への言い訳だった。

 その間にも何人もの女子高生や主婦、スーツ姿の人々が瞬の横をすり抜けていく。

 それでも清春はまだ来ない。

 瞬は浅く息を吐くと、ポケットから携帯を取り出した。当然メールも着信も無い画面にはモノクロームな背景とデジタル時計だけが表示されている。時刻は既に四時二十分。

(くそっ、もっと遅くに来れば良かった……)

 彼と待ち合わせするのがなにも初めてだった訳ではない。今までだって何度か買い物に付き合わされたり、文化祭の買い出しに付き合わされたりした。清春の遅刻癖もよくわかっている。

 けれどどうしても瞬の性格上遅刻することが出来ないのだ。時間を無駄にすることが出来ない。そして五分前に着いてしまっては、つまらない後悔を繰り返すのだ。

 相手が優に三十分は遅れてくることを、頭でわかっていても。

 暫くすると、電車が着いたのか再び改札の方から人がぞろぞろと溢れ出してくる。その姿をじっと睨み付けながら、瞬は今度こそこの中に居なければ帰ってやると何度目になるかわからない決意していた。








「……キシシシッ、相変わらず気が長ぇ奴だなァ」

 にんまりと口元に笑みを浮かべて、清春は掛けていた派手なサングラスを外した。クリアになった視界の向こうには、オブジェの前に立つ赤い長身。遠目からでもはっきりと苛立っていることがわかる彼こそ、清春の待ち合わせ相手である瞬だ。今朝会った時と同じ制服姿で、腕を組みながら真っ直ぐに改札の方を睨み付けている。

(いい加減ガクシューしろっての)

 けれどその正反対の方向に、清春は居た。オブジェの背後に位置する喫茶店の前。丁度瞬の背中が見えるこの場所で、もう十分近く瞬の姿を眺め続けている。どれだけ人並みに紛れても決して見失うことはない。

 時折見える怒りに満ちた横顔がまた清春の加虐心を煽らせていた。

(マジでアホだよなぁ)

 腹の底から沸き上がる笑みを抑えられない。何度も手元の携帯で着信を確認したりしては、顔を上げて改札を確認する瞬。清春を待ってその姿を探している彼を見るのは、清春のこの上無い楽しみの一つだった。もうかれこれ十五分以上はこうして苛立つ瞬の姿を眺めている。

 清春から言わせれば、いつまでも気付かない瞬が悪いのだ。

 毎回待ち合わせをする度に、清春は必ず三十分は遅刻していた。けれど時間を無駄にすることを嫌う瞬は待ち合わせ時間の五分前にはやって来る。それに気付いた清春はちょっとした遊びを思い付いたのだ。

 自分を待っている瞬の姿を、遠くから観察してやろう。

 ほんの出来心で始めたそれ。待ち合わせをする度に、清春は自分を待つ瞬の姿を少し離れたところで見守っていた。本当は五分くらいしか遅刻していないのに、それからはただ瞬の行動を観察する。

 携帯を見たり、きょろきょろと辺りを見回したり、時には帰ろうとしてしまったり。

 それでも結局瞬は清春のことを待ち続ける。今まで一度として先に帰ってしまったことはない。

 そんな事実が清春にこの上無い満足感を抱かせていることを、当然瞬は知る由もない。

(……おっ、チャクシーン)

 それまで眺めていた瞬が何やら携帯を弄り始めた。そして同時に清春の携帯に着信。

 そろそろ今回は時間的にも潮時だろう。すっかり満足した清春は、にやにやした顔で瞬からの電話を取った。








《よーお、ナナ!》

「よおじゃないだろう貴様っ! 今何時だと思ってる!」

 結局堪えきれなくなった瞬は、ついに清春の携帯に電話をしていた。待ち合わせ時刻からはもう三十分も過ぎている。行かないと言ってしまった手前、自分から連絡するのは避けたかったがこれ以上待っていられるほど瞬も呑気では無い。

 改札から出て来る人波に目を配らせたまま、携帯に向かって怒鳴りつけた。

「自分から四時に駅前だと言っただろう!」

 手元の携帯からは外に居るような雑踏が漏れ聞こえてくるけれど、清春の姿は未だに見えない。

《あ? そーだったっけなァ?》

 つまり、清春はまだ駅から遠い場所に居るのかもしれない。

 からかうような浮ついた声に、瞬が再び怒鳴ろうと息を吸い込んだ時だった。ふと、後ろから肩口を叩く気配。

 何も考えずに瞬は勢いよく後ろを振り返っていた。

「大体貴様はいつも……!」

 むに。

「……引っ掛かったー、ってなァ!」

 容赦なく頬を突くような感触と、見慣れた満面の笑み。更に電話越しからも同時に聞こえた声で、瞬は咄嗟に反応することが出来なかった。携帯を握り締めたまま、呆然と目を丸くしてにやりと笑う清春を見下ろす。

「キシシシッ、なんつー顔してんだよヴァカナナ!」

 ぱちん、と目の前の見知った男が携帯を閉じた音で漸く我に返った。瞬の頬から離れていったのは、もちろん清春の指先。彼はけらけらと笑いながらくるりと踵を返して瞬に背を向けた。頭の後ろに両手を回し、すたすたと先へ歩いていく。

 見事に引っ掛かってしまった事実に羞恥を感じながらも瞬はすぐにその後を追った。

「っちょっと待て仙道! 呼び出しておいて勝手に行くな!」

「あー? こんなのにも付いてこれないほど体力ねぇのかヨ?」

「ふざけるな! 大体三十分も遅れておいて……」

「細けぇこと気にすんなっつーの。ほら、さっさと行くぜ!」

「な、こら待て! 絶対何か奢れよ貴様! 俺の貴重な時間を三十分も無駄にしたんだからな。おい聞いてるのか仙道!」

 ぎゃあぎゃあと喚く瞬に、清春はあーハイハイ、と投げやりな返事で答える。けれどその内心は確かな優越感によって満たされていた。これだから瞬と待ち合わせするのは止められない。沸き上がる感情のままに口元を緩めた。

 本当は買い物なんて、単なる口実に過ぎないのだ。全ては瞬と待ち合わせするため。自分を待ってやきもきする瞬の姿を遠くから眺めたいだけなのだ。ぶつくさ言いながらも決して帰ろうとはしない姿や、時折しおらしくなる横顔が堪らない。

 そして何より、清春を喜ばせているのは。

(会った時自分がどんな顔してんのか、ぜってー自覚してねぇよなァ)

 歩きながらちらりと横目で瞬の顔を覗き見れば、端正な表情が今は通りの脇にある楽器店のアンプに集中していた。当然清春の視線には気付いていない。

 普段は澄ましているこの顔が、待ち合わせに遅れてきた清春にほんの一瞬だけ見せる顔。それを見たさに、また清春は瞬との待ち合わせに遅刻していくのだろう。

(キシシシッ、いい加減気付けっつーの)

 鈍い奴、なんて瞬を笑う清春だけれども。彼だって気付いてはいないのだ。

 毎回何かしら理由を作っては街へ出る度、必ず瞬の行き着けの楽器店に足を向けていることを。




END

THANKS

のあね様:迷い猫