01.究極の選択




低く落ちた照明の下、腹の底を転がるように響く重低音。
その間を縫うように、艶かしく身体を動かす人間たちは、男だか女だかも定かではない。
ここでは関係ないからだ、年齢も性別も、もしかしたら法律も。
そんな人のうねりのど真ん中に、ハリキッテお洒落しました!の、場違いな少女を見つけて、葛城は興味を抱いた。彼女を誘ってまとわりつく卑猥な手から逃れようと、必死に身を捩る子猫ちゃん。
可愛い女の子が困っていると、どうも放っておけない。
葛城は両手にカクテルを持ったまま、器用に人と人の間をすり抜け、少女に近づいていった。
声を掛けようとしたとき、まとわりつく手を振り払おうとした彼女の手が、葛城の腕をしたたかに打った。
持っていたグラスから、青い水が飛び散った。
「あっ、すっ、すみません・・・・・」
顔をあげた少女が、葛城を見て信じられないほど目を丸くさせた。
開いた唇の形が、今にも、「葛城先生」と呼びそうだ。
(もしかして、ウチの生徒か?)
でも、まさかな。
聖帝学園の生徒はだいたいがお上品で、夜遊びするにしてもこんなクラブには来やしない。
後悔なのか焦りなのか恐怖なのか。それともナンパされるのは初めてなのだろうか?各種入り混じったカクテルのような表情をした少女の顔を覗き込んで、葛城はへらへらと笑った。
「・・・・子猫ちゃん。だーいじょうぶ?」
「えっ?」
「顔色が悪いぜェ、ま、これでも飲んで元気だせって〜。あ、これ、GINJI様オススメカクテルだから!」
「えっ、でも、私・・・・・」 
差し出された綺麗な色のアルコールを見て、何かを言いかけた少女が、慌てて口をつぐんだ。
それを葛城は、彼女の遠慮だと信じて疑わない。
「いーのいいの。気にしない気にしない。これ飲んだら、ゼッタイ!気分良くなるからさッ」
少女の手にグラスを握らせると、背をむけた。
背中を追う少女の視線から隠れるように、葛城はクラブの隅に設えられたバーカウンターへふわふわと歩いていく。
そこには一人の男がいて、美味くもなさそうにカクテルを飲んでいる。
ずいぶん上背のあるがたいの良い男で、高いチェアにも関わらず、ほとんど足がついている。隙はまったくない。
「お待たせしましたッ、太郎さん!」
能天気に、調子良く呼びかけて、葛城は、カウンターに置いたグラスを男の前に滑らせた。
それを手のひらで受け止めて、九影はため息をついた。
「てめぇ葛城。あのガキ、どう見たってまだ未成年だろうが。酒、渡してんじゃねェぞ」
「えっ、見てたんスか」
「しかも、ありゃあうちの生徒だ・・・・」
新しいグラスを一気に煽ると、「甘くてまずい。ンなもん飲めるか」と吐き捨てた。
そんな九影に怯えて、さっきバーテンがカウンターから逃げ出してしまったから、ここは閑散としてしまい、葛城がアルコールを調達しに行かねばならなくなってしまった。まあ、パシリはいつものことだからいいとして。
「おいおい太郎さん、ここには未成年はいないんだからさぁ、滅多なこと言っちゃいけねえよ」
「・・・・まぁな」
大方、友達に誘われて初めて夜遊びしてみました、ってとこだろうよ。
苦笑して、九影はチェアから降りた。
どこへ、と、目で追う葛城に、「便所、行ってくる。」と言い残して、だるそうに歩き去ってしまった。
声をかけられても、見向きもしない。まとわりつく腕など、あってないようなものらしく振り払いもせずに通り過ぎていく。
その後姿が柱を曲がるのを見送ってから、葛城は、ずっと我慢していた煙草に火をつけた。
九影は、煙草が好きじゃないらしい。たまには吸うみたいだが、基本的には駄目。あまり美しくない、と言う。
華道家の子弟だからか、九影は独特の美意識を持っていて、葛城にはよくわからないが、わからないところがいいのかもしれない。
すでに天井辺りに充満して、スモークだか煙草の煙だかわからないもやもやに目がけて、煙を吐いた。
久しぶりにパチンコで勝ったのでおごると言ったら、たまにはいつもの飲み屋以外にしよう、と言うからここに連れてきた。
理由は特にないのだが、九影が煙草を嫌いなことは忘れていた。
(太郎さんが戻ってきたら、出るか・・・・・。)
長いままの煙草を、空いたグラスの溶けた氷に沈めようかと考えたとき、
「あなた、ひとり?」
声がして振り向くと、妙齢の美女が艶やかに微笑んでいた。
葛城が返事をする前に、彼女はすでに葛城の肩を指で撫で、猫なで声で「遊びましょう」というようなことを言った。
女は大好きだが、今夜のあぶく銭は彼女とお遊戯する為にあるわけじゃない。
丁重にお断りしようと咥え煙草の唇を開きかけたとき、ふいに美女が何かを振り仰いだ。
次いで咥え煙草が奪われ、追うように目をあげたら、やはり九影だった。取り上げた煙草を咥えて、煙を吐きながら、涼しげだが優しくもなく女を見下ろして、「何か用か?」と、言った。
その迫力たるや泣く子も黙るといった様子で、なにマジなってんだよ、と葛城は思わず噴き出しそうになったが、ぎらりと両者から睨みつけられて、愛想良く「ごめんね〜」と、女の方に手を振った。
不躾な視線だけ残して女が歩き去った後、九影が、忌々しそうに煙草を灰皿に押し付けた。
押し付けるなり、さっさと身を翻す。
「帰るぞ」
「あっ、待ってくださいよ太郎さん!」
追いかけてチェアから飛び降りようとしたら、予想外の高さに体勢を誤り、前のめりに床に転がり落ちた。
「ぶべらっ!」
したたかに顔面を打ちつけて、涙目で顔を上げてみても、九影が待っていてくれるわけもなく、歩き去る、縫い目のない靴底がちらりと見えただけ。どんどん遠ざかっていく。
慌てて立ち上がり、転がりながら走り、人にぶつかりながら、やっと追いついたと思ったら、ちょうどトイレの前だった。
その背中に飛びつこうとしたら、急に立ち止まるから、思い切り激突してしまった。
もちろん、九影はびくともしない。
「いッ、てぇ・・・・・・」
二度打ちつけた鼻っ柱の痛みに目を眇めつつ、顔を上げた途端、胸倉を掴まれた。
なかばつま先立ちになりながら、葛城は据わった九影の双眸を間近に見つめて、にへらと笑った。
ぴくり、と不快そうに九影の眉が動く。
「てめぇ、喧嘩売ってんのか?」
その一言に、葛城もむっとした。
まるで、ぶら下がった人形のように身体を弛緩させたまま、同じように目を据わらせた。
「売る理由もわかんねえ喧嘩の売り方なんか知らねェっすよ」
苦しいから離してくれねえかな。
葛城が叩くように襟元を掴む手を掴んだら、叩きつけられるように壁に押しつけられて、そのままキスされていた。
「う、ぐ・・・・・・」
さっき飲んでいた甘いカクテルの味と、きつい煙草の味の絡まる、最悪なテイスト。
それでも、男の身体というのは単純で、そうして絡んでいれば、気分は盛り上がってくる。
人間は動物だが、犬と違っていつでも好きなときに発情できる。よほど野蛮だぜ、と、いつか九影は言っていた。
唇を離して、お互いに物言う目でお話していたが、ふと視線に気づいて振り向くと、少女があんぐりと口を開けてこちらを見ていることに気づいた。目が合うとすぐに壁の向こうに隠れたその顔には、見覚えがある。
「あ」と葛城が口を開いた。追いかけて角の向こうに顔を出してみると、そこは運悪く行き止まり。硬直した少女が壁にはりつくように立っていた。
顔色は真っ青でも、その丸い頬のかわいらしさに、葛城はにやけた。
「なーんだ、やっぱり子猫ちゃんだったのかァ・・・。カクテルは飲んでくれた?気分、良くなっただろ?」
「だ、だ、誰にも言いませんからっ!」
答えにならない答え。見逃してくれということらしい。ということは、全部見ていたということだろう。墓穴を掘っていることに可愛い少女は気づかない。
とっておきの優しげなホストスマイルを浮かべると、葛城は少女の頭の上に両手をついた。少女の瞳がいちだんと怯えた。
「実は、今GINちゃんちょ〜っとばかり欲求不満ぎみなんだけどぉ、今度は、子猫ちゃんが俺の相手してくれるのかな〜?俺はいつだってウェールカムだぜ?」
「・・・・・・・・・・・・・っ!」
息がかかるほど顔を覗き込まれて、少女は瞬時に首筋まで真っ赤になった。なった途端、わっと泣き出して逃げ出してしまった。
その足音が、遠くフロアから聞こえてくるミュージックにかき消されてから、傍観していた九影が葛城の尻を軽く蹴った。
「いちいちガキ泣かしてんじゃねえよ、おめえは・・・・・、しかし、悪ぃことしちまったな。」
「あァーーーーッ!そういやあの子、うちの生徒だったんじゃねェかッ!!しまっとぅわぁあああ!」
「あーいちいちうるせェ」
「ヤ、ヤバくない?っていうか、ヤバいよな?ヤバいですよねぇぇえ?太郎さん。しくしくしく」
「はァ?知らねぇよ・・・・」
「太郎さァ〜ん!!てか、なんかさっきから冷たくね?」
「てめえの気が小せえだけだろ」
鼻で笑う九影に、葛城がむっと真顔になったから、九影が「大丈夫だろ」と言った。
「あっちも親や学校に知られちゃ困るようなことしてんだ。誰にも言いやしねえよ。言ったところで、女子生徒の単なる”噂”だ。しかも、学園の不良ホスト教師とヤクザ教師のな。誰が本気にするかよ。悪くて、口頭注意くらいじゃねえか?まあ、そんな景気の悪い顔すんな」
なぐさめるように葛城の頭をぞんざいに撫で回し、九影が口の端で笑った。性格のわりに神経質なくらい整えられた髪形を乱されて、イラだったように手を振り払われたが、また笑う。キスをして、顔をあげると、葛城が背後に意味ありげな視線を送っていることに気づいた。
また誰か見ているのか?と九影が振り向くと、そうではなく、視線の先にとあるかわいらしいマークが目についた。
青いジェントルマンと、赤いレディ。
どこででもよく見る、あの。
「ア?」
九影は、あからさまに眉をひそめた。
どうする?と言いたげに、葛城の目が笑っている。どうしたい?
「けど、もう決まってるけどな」
「あのなぁ、てめえいくらなんでも・・・・」
言いかけた九影に、葛城がその胸を軽くノックする。てめえの胸に聞いてみろという意味らしい。
いや、言いたいことは聞かなくてもわかる。
気分は盛り上がっている。やりたいことはたった一つ。
どこを選ぶか、ただ早いか遅いかだけの話。
「だからってお前ェ・・・・・」
九影は、呆れたようにちょっと片眉をあげたが、口元は苦く笑った。
なぜなら人間はいつでも発情できるといつかこいつに言ったことを思い出したからだ。
「本当に節操がねえな?ムードもくそもありゃしねえ」



END

THANKS

ウェンズデー様